very strong muscle boy.rtf
"わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です"
(引用 ※1)
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拝啓 月ノ美兎様
私はあなたのことが大嫌いでした。
勘違いしてほしくないのですが、決してアンチであったとかそういうのではないのです。ただただあなたのことを直視できない時期があったというそれだけの話です。
2018年、インターネット上に現れた月ノ美兎という存在がいかにセンセーショナルでとくべつな存在であるかは今更ここで語るべくもない事柄ですので割愛しますが、それほどまでにあなたという存在は深く深くこころの内側に突き刺さる存在なのです。少なくとも私にとっては。
人間というのは罪深い生き物で、特にコンプレックスを多く抱く人間は常に何者かになりたい気持ちを抱えている。思春期にアイデンティティを獲得しそびれ、未だに自分はこれであるという象徴をなにひとつ持たない私にはあなたの存在があまりにまぶしすぎたのです。ああきっと私はこのひとのようになりたかったと思わせる化学物質を持っていて、私がそれにアレルギー反応を起こしてしまったにすぎない。インターネット上を見ると、私と同じような気持ちを持った人間は少なからず存在するように思えます。
もちろん私があなたになるのは到底無理な話です。見てきたものも感じてきたことも、聞いた言葉言った言葉なにもかもきっと違うでしょうし、何よりあなたは努力家で、人を楽しませること(あるいはそれに準ずるインタラクティブな感情を呼び起こすこと)に関しては比類ない才能を持っている。事実、こうして私が心情を吐露するのもあまりにおこがましく恥ずかしいほど、あなたという存在は唯一の特別なものです。
私はなるべくさっさと死にたいなあと思っています。あまり永続性とかそういうのを信じていないので、感情はすべて一時的なものであって、もちろん人の命もそうだし、大概が刹那的に過ぎる時間の一部でしかなく、そのように考えると特に明るい未来も見えず、事実、楽しいとか嬉しいとかそういう感情も受け流し気味で、はっきり言って虚無の人生なので、できるならとっとと死んでしまいたいのです。
あなたは折りに触れてこう言います。「精一杯この世を生きましょう」と。
私にとっては呪詛にも近い言葉です。しかし同時に福音でもあります。
私のような人間に、私にだけ向けた言葉でなくても、はっきりと"生きよう"と道を示してくれる人間がひとりでもいることが、どうしようもなく尊い事実のように思えます。
もちろんこういったメッセージは日常の様々な場面で見ることができます。漫画でもアニメでもドラマでも小説でも映画でも、そういったメッセージ性の込められたモチーフはあらゆる場所に存在します。
それらが特に私には響かず、あなたの言葉が重く響くのは、あなたがバーチャルYoutuberとして実存を持つ存在だからでしょう。
あなたがバーチャルライバーとしての活動を通して自らの生きざまを明け透けに私(たち)に示すことによって、あなたという存在の輪郭がはっきりとした質量を伴い私の前に現れ、またそれはあなたの言葉ひとつひとつに意味や重みをもたせる。
もちろんフィクションや虚構の力を信じていないのではないのです。そのようにしてあなたが自らの扉を広く開けてくれることによって、激しい雨の降る中でも私はすこしだけそこに潜り込んで雨宿りをすることができる。寄るも寄らないも自由なその場所が居心地がよいというそれだけの話です。
言葉の意味の重さというのは、話者と聴者の間の信頼関係によって生まれるといっても過言ではないでしょう。であるなら、私とあなたの関係は至って良好と言えます。勝手にそう思ってます。
リスナーとのあいだの距離感の作り方がうまいのもあなたの魅力のひとつでしょう。
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あなたのすばらしさを称える言葉はきっとインターネット上にありふれていることと思いますので、なるべく私の気持ち、私の言葉を伝えようと躍起になっているのですが、なかなかうまくいきません。
あなたの配信から見えるあなたの世界はとても彩に溢れています。あなたの目から見たこの世界は楽しいもの、愉快なもの、不可思議なもの、すこし危険なもの、ユーモアな人、おいしい食べ物でたくさんで、あなたがそれらひとつひとつの宝石を大事に拾い集め、私に見せてくれることがどれだけ幸福なことか。
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生きることがなんなのか私にはよくわからないといったのが正直なところです。ですので"精一杯"生きましょうと語り掛けるあなたの言葉がより一層理解できなくなることがあります。
きっと私にとってはそれを考え、探し求めることが、今のところ精一杯生きることなんじゃないかというのが結論として今落ち着いているところです。
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月というのは衛星です。恒星と違って、みずから光りを放つことはない。あなたに向かって放たれる世界のあらゆるまばゆい光を、あなたはそのみずみずしい感性と好奇心によって取り込むことで、あなたという存在に多面的な影を作り出し、そしてまたプリズムのように光り輝く。
そういったあなたの姿を見ていると、これこそが命の炎を燃やすことであり、あなたが"生きている"ことであると思わされます。生命力の塊、人間としての尊いすがた、それでいてあなたは決してそれを飾らない。さっきプリズムのようだといいましたが、もっと卑近な光を私はよく見る気がします。午後三時の日差しがカーテンの隙間から投げかけられるあの感じとか、水族館の薄暗い空間のなかでぽっかり輝く水面の反射とか、道を歩いているとき地面にぽつぽつとある木漏れ日のような、そういうのです。暖かく輝いて目を奪って離さない、キラキラとした何かをあなたの中に見ます。
およそ1年、あなたという存在を配信や動画を通して見てきました。
まぶしくて目を焼かれるときもありました。
でも、ごくごく身近にある見過ごしがちなそういった光は、作り出された光より目をひかないかもしれないけれど、日常をあかるく照らすとても大事なものです。
あなたが精一杯生きているときに燃やされる命の炎の輝きが、きっと私にはそうしたものに見えています。
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『希望の光』みたいな言い回しをよくいろんなとこで見聞きしますが、私にとってのそれがあなたです。
私の人生は私の人生ですから、私は誰にも救ってもらおうとも思わないし、なににも依らず生きたいと思っています。とっとと死にたいといいながら自分で死ぬような甲斐性や勇気はありませんから、結局のところようわからんまま日々仕事をしては家に帰って絵を描いたり動画作ったりして少し眠って、それからまた仕事をしにいく、みたいな日常の繰り返しです。安定こそないものの劇的な変化があるわけでもなく、鈍った感情で砂の中の金をかき集めてはなけなしのそれを人生機関車の機関室にくべてなんとか毎日走ってます。
砂漠では北極星を目指して歩くといいという。北極星はほとんど動きませんから、それを基準にして方角を定め指針にして進んで行ける。
目指すべき到着地ではないけれど、それは確かに空にあって自らの進みたい方向へ行く手立てを示してくれる。
精一杯この世を生きるという呪詛にも似た言葉は、それでも確かに私の脚になって、あなたは私のポーラースターです。
いつまでもそこにある光ではないかもしれないけど、それらの片鱗がいつも私の近くのどこかにあることは、先述した通りです。
きっとそれは私が死ぬそのときまであらゆる場所に鮮明に焼き付き、手足が震えるときも、じっとつま先を見つめてしまうときも、心の中でふっと星のように瞬いて、私を笑顔にさせてくれるでしょう。
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今年の1月の最初のころ、たくさん流れ星が見える朝がありました。4時か、5時ぐらい。家の近くの自販機で温かいミルクティーを買って、ベランダに出て空を眺めました。煙草に火をつけてぼんやりとそのままでいると、たまに空にちかっと光る閃光がありました。それが2、3回続いて、ようやく私はそれが流れ星だと気づきました。
どうしてか私はそのとき、この光景をあなたも目にしていてくれたらいいな、そうでないならあなたに見せてあげたいと思いました。
私があなたのことが好きだと気づいたのは、そのときです。
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まるで抽象的かつ乱雑な文章が続くので何が言いたいのかよくわからないかもしれません。でも人間は人を好きになるとなんとなくポエミーな感情を会得してしまい、うまく思考がまとまらなくなるっていう、そういう生き物なので、許してください。
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あなたがバーチャルライバーの月ノ美兎として生まれてきれくれたことに本当に感謝します。
月ノ美兎1周年、本当におめでとうございます。それからありがとうございますと、お疲れ様です。
どうかあなたやあなたに近しい人たちに輝かしい未来があらんことを、世界の隅っこから祈っています。
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"(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)"
(引用 ※2)
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ちなみに私がとくに好きな月ノ美兎ポイントは、微妙に字が汚いところです。カワイイ。
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引用
(※1)宮沢賢治 宮沢賢治詩集.角川春樹事務所,1998,p.13.
(※2)同上,p.14.